文体について

突然ですが、私は私の書く文章が大好きです。文体、なんでしょうね。そんなに読書家というわけではないんですが、文章に対する好き嫌いは結構はっきりしていて、20年くらいカキモノをしてくる中で、私自身にとって心地いい文章が書けるようにしてきました。

実を結んだのでしょう。私は私の書く文章を読むときとても心地よく、なんというか、ほっとします。巣作りみたいなものなんでしょうかね、比喩ですけど。

文体を構成するのは文章のリズムや単語の選択、副詞や形容詞の頻度や、そもそもの漢字の開き具合など、いろんなものがあると思うのですが、私が書くときにおそらく一番気にしているのはリズム感というか、呼吸の間合い、でしょうか。

頭の中で音読することが多いです。喫煙者のため呼吸は若干浅く、ここからここまでは一気に読めるな、という目算が短くなりがちです。結果として一文、もしくは一文節が短くなりがちで、その分主述関係が分かりやすい構成になっているかなという気もします。

読書家の人には頭の中でさえ黙読する、要は文章をそのまま文章として受け取れる人がまあまあいるようですし、私自身、病気を発症する前はそのような読みだったのですが、いまは声には出さないものの頭の中では音読しています。こういう「肉体とリンク」させているところ、その肉体が私自身であることが心地よさの原因かな、と考えています。

少し前にある本を読みました。まあなんというか文章が合わなくて、しかしながら暇つぶしには読まないわけにもいかず、なんとか読了したのですが、しばらく気持ち悪さというかむずむずする感じが抜けず、「ここは自分にとって心地良い文章で上書きしよう!」となって自著をブックカバーに包んで次の本としました。いやー、効果てきめんでした。

ナルシストと言われてしまえば否定はできないのですが、私の文章の一番のファンは私自身だなと思います。物語のストーリーは自分で書いても忘れてしまうほど作品に対する愛のない作家ですが、文章はね、最高です。少なくとも私にとって。

ありがたいことに私の文章を好きだと言ってくれる人が少なからずいてくれて、言葉にしてそう伝えてくれるのがありがたいことだなと思います。私は私のためにしか物語を綴れませんが、そうやって受け取ってくれている人がいるのは嬉しいことだなと思います。

投稿者:

氷砂糖

九州在住の五〇〇文字小説書きだった人。鉄の街出身、晩秋生まれの嘘詠い。

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