藤子・F・不二雄SF短編集を読んだ

ebook japanにて藤子・F・不二雄SF短編集<PERFECT版>が全8巻中の1-3巻が無料だったので読んでみました。8/13までらしいよ。

https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/443402/A001839423/

で、いつもの通りレヴュではなく、読んで思いついた自分の話をつらつらするんでネタバレすると思います。

ミノタウロスの皿

何年か前にテレビ(たぶんマツコ有吉の怒り新党)で、こういうお話があることは知っていました。宇宙で漂着した星では人類が食肉用の家畜だった、とまあストーリーはこれだけ。家畜人類は美味しく食べてもらうことを最高の栄誉だと考えているし、食べる側(牛型)はまあ当然食肉家畜は食べて当たり前という価値観。人によっては宗教的なものを感じそうだなあとは思いつつ、私は生命倫理学を思い浮かべたりしました。

こちらは数年前に読んだ本です。『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人)

生命倫理に関しては中学生高校生くらいのころから興味があって、それはまあバイオテクノロジーにものすごく興味があったからなんですが、大学でも基礎教養で履修しました(頑張ったけど可でした)。で、この本のほう、ペットの躾の問題から動物実験に関することまで手広く扱っていて導入としてはおすすめの本です。もちろん食肉に関することにも言及がありますよ。

「ミノタウロスの皿」の話に戻るんですが、ヒロインの家畜はなんと活き作りで食べられることになるんですね。そこがなんというか、偏執的というか、正直に言いましょう、性的にグッときました。自分の肉の味への称賛を受けながら逝くわけですよ。フィクション上でなら、と但し書きを置きますが、幸せな最期に思えたんですよね。

知性のあるものが知性のあるものを食べる、という構図なら悪魔のオロロンというマンガも思い出します。

アマゾンの表紙埋め込めるの便利

たぶん絶版なんですけど、高校生の時に読んではまってたマンガです。いや、スーツの美人っていいよね。スーツの美人はさておき、主人公の千秋は天使と人のハーフで天使たちから命を狙われる存在。一方のオロロンは魔界の大魔王で生きてくるために身近な存在含め殺し続けてこなくてはならなかった、みたいな二人。「生きるために殺すことは許されるか」みたいなのがテーマの一つのように読めました。天使しか食べられない魔族が出てきたりとかね。

なんかそういうのを思い出したお話でした。

気楽に殺ろうよ

価値観の反転、といえばこちらもなかなか。私自身も食べているところを人に見られるのがあまり好きじゃないというか食べているところを見る見られるのははしたないという感覚を持っています。だから人と食事するのが苦手だし、そういう感覚の人って程度の差はあれ割といるみたいで、精神科に入院した時は「自室でしか食事をしない」という選択肢がありました(食堂があったけど)。このお話の中で、食欲は秘すべきもの、性欲は当然のもの、という食欲と性欲の反転が起こっているのですが、死生観含めた他の価値観もいい具合にずらされていてディティールが結構細かいんだなあと感じました。

ひとりぼっちの宇宙戦争

これね、子供のころに読んだことあったんですよ。小学生のころ、頻繁に行っていた焼き鳥屋さんがあって(私の地元はファミレス感覚で居酒屋等に家族で行く人が多かったです。前にケンミンショー見てこっちだけなんだって知って驚いた)、そのお店に置いてあった単行本にこのお話が収録されてたんですね。メインストーリーの主人公がクローンロボットと地球を賭けて戦う話は置いといて(置いとくのかよ)、主人公が負けて地球がとられてしまったときに地球人が「どれい・ペット・食料」として扱われるという描写のね、食料としてお皿に乗ってる絵がね、子供心にぞわっと興奮しましてね……! あれは性的な興奮だったんだろうなあ。ドラえもんの絵に似てるなあとは当時から思っていたんですが、作風が違いすぎて同じ作者だとは思わなかったんですよね。

というわけで性癖の話しかしてないな。

考えたこと:古い作品を読むことについて

描かれているディティールがどうしても古臭くなってしまうのはしょうがないですよね。描かれたときの社会情勢や物の価値、社会的な常識。そういうものの古臭さは絵柄を差っ引いても気になります。でも起こる物事は普遍的なテーマが多く感じられました。

対比として思い浮かんだのが星新一。私あんまり星新一のショートショートが好きではないので少ない既読作品からの偏見になりますが、星の固有名詞をぼかす手法(エヌ氏とか)と比較して、作品そのものの古さまで演出されている、古い作品であると最初から構えることができるなあ、と感じました。

星のショートショートも今読み返せばどれも古臭いです。正直。ただ、なまじ視覚情報がテキストのみなので現在と地続きに読み始めてしまって、ディティールの違和感がこう、もやッとするんですよ。まあもちろんマンガと小説というメディアの違いというものもあるんでしょうけど、この印象の違いはなかなか面白く思えました。

でまあ、たまに言ってるんですけど私は物語作品には旬があると思っていて、どんな名作でも「作品」として発表されたときから時間が経ってしまえば、日々アップデートし続けられる価値観とのずれで純粋に楽しみに浸ることができなくなるよなあなんて考えます。私の場合で言うとジェンダー観にはわりとセンシティブに反応してしまうので、そういうので「あの頃に読んでおければよかったのになあ」となるお話もときどきあります。

私が現代作家、存命作家を中心にしか読んでないのはそういう理由だったりもするんですよねえ、なんて。