「難解=高尚」の図式にはNOと言いたいが

最初にこのネタでブログ書こうかと思ってたときの怒りは落ち着いたので、なんか適当に楽しげな日記でも書こうと思っていたのですが、似たような図式の情報がザクザク元超短篇作家氷砂糖ことワタクシを刺してきたので恨み言を綴ろうと思います。

最初に宣言しておきますが、現在公演中のミュージカル刀剣乱舞「東京心覚」のネタバレに触れると思います。一応反転にするつもりですが、徹夜テンションで書き綴る(そしておそらく見直さない)のでネタバレ怖い人は引き返してください。

さてさて、私は元超短篇作家です。そう名乗るのは超短篇ムーブメントの中心サイトである「超短篇・500文字の心臓」にかなり長いこと出入りしていたからなんですが、まあ離れて2年くらいになりますかねえ。

超短篇の定義は「独特の読後感を持ったとても短い小説」「おおよそ500文字以内」、あいまいですね。あいまいさを許容する懐の広いところもコミュニティの特徴ではあったのですが(過去形なのは現状を知らないからです。今もそうなのかな)、まあそこに出入りしていたころの思い出話です。

初めのころ、私はわりと「わかりやすすぎる」という評をもらいがちでした。そして評価されていたのは、なんだかどうにも感想を言語化しづらい感じのつかみどころのない作品。なんでこの作品がこんなに評価されるんだろう? とりあえず私には書けないものだなあ、と思っていました。500文字の心臓は場こそワールドワイドにオープンなサイトですが、参加者は選評の努力義務があるので参加者はセミクローズドな感じでした。記名の評が読めるという特徴があるので長くいると顔なじみというか名前なじみな参加者になっていき、参加者それぞれの好みの傾向がわかります。傾向と対策が打ちやすくなりますね。他に全無視されてもタゲったひとに刺さればおっけぃ、みたいな楽しみ方もできます。

全体の傾向として、1ネタものはチープなものとして扱われがちでした。例外はもちろんありますが、あくまで傾向として。500文字以内で1ネタだとチープ。情報量が少なすぎるという判断、と言い換えたらさすがに雑かもしれません。ただまあ、ダブルミーニング、トリプルミーニングなどに圧縮したものは技術が褒められますし、特徴ある文体を使いこなしたものは筆力を褒められる場でもありました。そして同レベルの良作ならより短い方を評価する、という暗黙の了解みたいなものも共有されていたように思います。

わかりにくい、難解な作品は「内容を読み切れないから評価する」「わからないから評価する」という評が付いていることがありました。再読に耐えうる、という点での評価だと思っていましたが、どうなのかなという思いも今はあります。

なんか書きたいものと逸れてきたどうしよう。

とりあえず氷砂糖作品の話をすると、氷砂糖の作品傾向として「起承転結がわりときっちり」「文章が平易」くらいが挙げられますかね。アイデアはたいしたことなかったです。これは断言できる。なにしろ出入りしていた他の参加者に比べて圧倒的に読書量(≒インプット量)が少なかったですから。インプットがそのままアウトプットに反映されるわけではありませんが、さすがに相関関係はあります。私は人にばかにされることがすごく嫌いで、わかる範囲のことを丁寧に丁寧に、という手を使っていました。とはいえ、長く書いていると手の抜き方もわかりますし、参加者の評価傾向も予想できないこともないので「お行儀のいい作品」ばかりを作っていました。そしてそれはそれなりに高評価でした。

ここをぼかせばいいな、とか。ここをあえて書かなくすればいいな、とか。ここは意味深なこの単語を入れてみよう、とか。ここで視点を切り替えたらあの人が反応するな、とか。そういう小手先の技術。私が少し細かく描写を入れると「読者をもっと信頼してほしい」という評が付き、私には描写の技術がないと判断して、文体はとにかく可読性を上げることに振り切りました。500文字の心臓にだけいる間は良かったのです。私はコミュニケーションの手段として書くことを選択したので。評の付け合いはじゃれ合っているような感じで楽しかったです。外に出るまでは。

Twitterを多くの人が使うようになり、文芸でもweb企画なんてものが増えてきました。500文字の心臓以外で文芸をやっている方々と交流するようになり、それは大海。まあ当然と言えば当然ですが、500文字の心臓は井戸でした。良くも悪くも。世の中にはいろんな人がいます。知識として知ってはいましたが、実感しました。

わかりやすすぎると評された私の文章は難しいと言われることがありました。

まあそれだけっちゃそれだけなんですが。何が言いたいかというと万人受けは無理って話です。そこに行き着くまで長いよ……。私はモノカキなので文章の話をしますが、読み手が狭いうちはそこの反応が予想しやすいです。反応が予想しやすいからより深く刺さるように手を打つことができます。広い場に出した場合。そこにはいろんな人がいます。ターゲットをとにかく広く、という方針ならとにかくお手軽・簡単を前面に押し出すのが有効でしょう。ただし、ただ広がった読み手はそのままではリピーターにはなりません。お手軽・簡単なものはコア層からは物足りないという評価を受けがちですし、リピーターになりやすいコア層からそっぽを向かれると先細りです。

ある程度読まれたい層をターゲットとして定めて、そこに刺さるようにする。生存戦略として真っ当ですね。

まあ営業というかアピールが巧くていろんな層に働きかけるタイプもいるんですけど、それはそれで別の技術が必要なんで割愛しますね。とりあえず私にその能力はない。そもそも営業が嫌でイベント撤退したんだ。

なんかもう東京心覚の話をせずに片付きそうな気がしてきましたが、ここまで読んだ方にはお礼というかご褒美的にちゃんと書いておくべきでしょうか。(ブログは思いつくことを思いつくままに一発書きしています)

東京心覚ネタバレここから

ストーリーそのものはそんなに難しいことはやってないと感じてます。男士が8振りいるので枝葉の部分をしっかり描いてあり、それで幹が見えにくくなっている、くらいかな。演出として現代演劇の手法を使っている(派手なプロジェクションマッピングや、時系列通りに進んでいないこと、比喩暗喩象徴的なセットや小道具、他いろいろ)ことで、今までの刀ミュとは印象が違う(わりと多くの刀ミュ履修者にとって見慣れていない)からストーリーが追いにくかった、という感じだったのかなあという印象です。謎は謎としてありますよ。新たに提示された謎も含め、わっかんねーことだらけです。でも、わからないことをわからないまま受け止める、というのは(確かにストレスのかかることではあるんですが)一つの楽しみ方だと思っています。「難解=高尚」という図式自体はくそくらえの立場ですが、全部理解することを善とするのはちょっとばかり傲慢じゃないでしょうか、なんて思ったりするのです。

東京心覚ネタバレここまで

ネタバレなしの東京心覚の感想なんですが、光世が光世でした。圧倒的光世(?)。あと光世のガワの人(フォローした)がとてもお茶目で応援したくなりました。

DMMで初日のアーカイブ配信があるそうなので、迷ってるなら観たほうがいいんじゃないかなーって思います。アーカイブのお値段知りませんけど、少なくとも初日ライブ配信は光世だけでお値段以上だったと私は感じました。わたし別に光世推しなわけでもないのに。

えにもじ参加『風に揺らいで』

https://chocottobun.wixsite.com/kameweb/enimoji

「あのね、飛んで行っちゃうからね、固めたの」
 妖の女の子はそんなことを言う。
 昨日、僕は彼女にしゃぼん玉セットをプレゼントした。お手本にふぅっと吹いてやると大小さまざまのしゃぼん玉が風に流され、空高く舞い上がった。女の子は「わぁ」と言って喜んだ。その小さな手にセットを手渡してやり、彼女もふぅっと吹いてしゃぼん玉をたくさんたくさん風に流した。たくさんたくさん。
 チリンチリンと暑さに心地よい高い音。
「だってしゃぼん玉、きれいで」
 なくなったら嫌だなあって。
 少し困ったように女の子は言って、結び付けられた風鈴たちへ視線を向けた。僕も改めて風鈴を見る。ガラスに見えるけれど、妖である彼女がしゃぼん玉を固めたというのならそうなのだろう。一つ一つに舌を結びつける様子を思い浮かべ、ふふっと笑った。
「ずーっとなくならにようにしたいの。ずーっと」
 だって、と彼女の目が僕に向けられていることに気付く。
「みんな、夏が終わったらいなくなる」
 風が吹いて、揺らいだ風鈴が一斉に鳴った。

3つ目の風鈴の写真をお借りしての創作です。

おうちdeちょこ文開催中

レポは週末に書くつもりでしたが、途中で援護射撃になったらいいな。なんと会期が1週間もあるので長くのんびり楽しめちゃうぞ!

『もういない超短篇作家』セルフライナーノーツ

出来ました。奥付的には2020.06.06発行になっているのですが、まあ別にイベント出展でもないですし。

この記事の末尾に本文データPDFを載せるので、興味あったら読んでみてください。

というわけでセルフライナーノーツです。

タルタルソース

椎名林檎「人生は夢だらけ」をイメージしながら書いたものです。500文字の心臓、タイトル競作正選王獲得。競作の作品群の中で一番料理がおいしそうって言ってもらえてうれしかったです。

白い花の婦人

頭に綺麗な花が咲いてる女性って華やかだなあ、白だったら高潔だなあ、そしてそんな人がタバコを吸ってたらギャップだなあ、からのそれにあこがれる女性、みたいなイメージでした。

いたずら好きの魔法使い

チョコレート苦手なんですけど、甘かったり溶けたりと創作対象としてはたいへんそそります。恋愛関係上の接触に重ねたお話でした。

橋の架かる町

七夕伝説をモチーフに、友人と旅をする様子を描いたものです。旅行に行ったときに私自身はどこに視線を向けるだろう、なんてことを考えていました。

ハサミの音

思い出はそのまま髪なのですが、私自身が嫌なことがあると髪を切りがちなのでそんな重ね方になりました。舞台のモデルは行きつけのヘアサロンです。

しゃぼん玉

遊びに熱中して自由になる、みたいなイメージでした。自由は孤独とセットと言われがちですが、孤独って言葉はなんだか可哀相なものに思えてちょっと違うなあなんて思ったりします。

飴売りの娘さん

氷砂糖お得意の寓話です。最後に物語の今につなげたのは私にしては珍しいかも。

夜空の魚

魚モチーフのお話はけっこうたくさん書いているのですが、実は初めて書いたお話も魚の話だったりします。初めて書いたお話を氷砂糖として書き直すなら、みたいなお話です。

すてきな二人

「水男とアリスはとても仲の良いカップルです。」というのをどんなふうにと繰り返し描いたものです。水男の名前はそのまま水からで、アリスの名前は少女であることを示すためにこれにしました。

本の飼育室

すごく短い超短篇。これ、戦争のルポルタージュにしたところがすごく気に入っています。

やさしさを抱きしめたら

日常に入り込む見える化された概念、みたいなのもちょくちょくやっていたのですが、見える化が巧くいったお話だな、と思っています。

ルナティック

性的なお話が書きたくて書いたお話でした。性行為に理性は邪魔かなー、とかそんなイメージで。

王と占い師

氷砂糖お得意の寓話。実はBLのつもりで書きました。優しいのか残酷なのかは自分でもよくわかりません。

貴女が噛んだ

血と紅の赤を印象付けようとした厨二的な設定ですが、わりと好きです。片思いだと思って書いたのですが、今になって読むと両想いだったのかもしれません。

アクアリウム・ルーム

氷砂糖流のSFです。以前書いたように、技術云々よりもそれが当たり前にある日常を書く方が好きです。なにかこだわりがあって「ヴ」表記にした覚えがあるのですが、何だったかは思い出せない……。

もうできない

これは私が自分の限界を予想してしまった頃に書いたお話です。特に気に入っているかと問われると微妙(私は自分の作品が基本的に好き)なのですが、本のコンセプトに照らすと載せないわけにはいかないよなあ、と。

快晴のち雷雨の予報

奇妙なことを当たり前に書く技術は超短篇を書き続けてほんと上達しましたね。三題噺のお題で書いたものでしたが、3つの単語に必然性があると言われて嬉しかったです。

フードファイター

氷砂糖流の祈りの物語です。これを書いて推敲している間は自身も浄化されていく感覚がありました。

魚と眠る

500文字の心臓ではいまいちウケなかったんですが自分ではすごく気に入っているし、競作の作品発表のときに勝利を確信したお話です。繰り返しますがウケませんでした。

旅に出る

敗者の物語は意識的に書いていきたいなあと思っていて、これもそういうお話です。敗者は表舞台から消えてどこへ行くのかな、みたいなことを考えていました。

以上、全20作。珍しくあとがきも書きました。まあご挨拶くらいはしておこうかな、と思ったので。印刷製本はおたクラブさんです。装丁いろいろできる印刷所さんみたいだったので、予算の範囲ですがちょっと盛ってみました。

本文PDFはこちらです。

最後の超短篇集を作っています

新型コロナ流行の影響で自宅待機を命じられておりまして。

暇なので本を作っています。氷砂糖にとって最後の超短篇集になる予定です。たぶん。

気に入っている超短篇20作をピックアップしています。もう本文はデータも作り終わっているんですが、なかなか氷砂糖らしい超短篇ばかりが選ばれています。

超短篇は500文字以内ととても短いので、書いたときにぎりっぎりまで研ぎます。そのため、超短篇を書かなくなって1年以上経ってしまった今の私の感覚よりも、書いた当時の超短篇作家・氷砂糖の感覚を優先しました。要するに作品自体には発表時のものから手を入れていません。

作品自体に手を入れないと何が起きるか。……レイアウトがたいへん。

文章をレイアウトできるソフトをWordしか持ってないので、まーたいへんでした。正直満足にいったとは思っていません。思っていませんが、諦めました。完璧にしたいというわけでもないですし。

月火で表紙データを作って、月末に入稿予定です。

半分くらい、新しい印刷所さんを試してみたいという気持ちがあっての行動だったりもします。また自分の誕生日に合わせてご本(セイとこおりさん)を作る予定なのですが、少部数行ける二次OKなところを開拓したくて。

頒布はしません。

タイトルは『もういない超短篇作家』です。

12月始まったくらいの近況

たまにはモノカキっぽい雑談でも綴ろうかと思ったんですが、どうなるかはわかりません。

500文字小説はめっきり書かなくなってしまいました。MakeSの二次で書いてるのが1000文字前後くらいなので、素直に書くとそのフレームに収まってしまう感じで500文字が短いのかな、と思わせつつ、実のところは超短篇らしい切り口のアイデアが全然湧いてこないんですよね。

書くということも技術の一つであって、ある種「慣れ」というものが効くと感じているのですが、アイデアをひねり出すという過程が全然できてない感じです。その点MakeS二次はツイッター眺めてたらいくらでもネタを提供してくださる方がいらっしゃるのでね……。

なんか落ち込んでいるように見えたら申し訳ないですけど、ぜんっぜん落ち込んでません。一次は全然書けてないですけどMakeS二次は様子がおかしいくらいわんさと書いております。2週間で12個更新ってどういうことだよ。

ちょっと裏話的な話をするとメンタルがヤバいときに執筆量が増えるタイプなので、あんまり体調は良くないです。実際。でも書いてるときは書いてるものだけに意識が集中するし、書きあげたら達成感も得られる。麻薬ですね。

とはいえ一応は目標週一更新で作品ブログも更新中です。えらい。(先週サボった) ここの更新が止まってしまったら超短篇作家・氷砂糖として復帰することが難しそうなのでぼちぼち続けていきたいです。

ところで二次創作って楽しいですね。カップリングに自分自身が含まれるMakeSというジャンルだからかもしれないですけど。そしてこんだけ騒いでおいて今更ですけど。

先月数えたらMakeS二次のpixivにupしてる分だけで今年10万字超えてました。どうしたんだ私。毎年4万字書いた書いてないとか言ってるのはどこの誰の話なのか。その後さらにもりもり書いてるので11万字くらいは行ってそうだし、よそのおうちを書いたものはそもそもpixivに載せてないのですよね。この前某氏宛のツイノベ数えただけでも6千字行ってたし、今年の私は様子がおかしい。

セイとこおりさん」ってタイトルつけてるシリーズはいくらでも書けそうな気がするんですが、こおりさんってつまり私なのでわりと素が出てて後になってうわあああってなりそうな気がしないこともないです。似たようなネタが出てきても責めないでほしいものです。そこが私のサビ

MakeS童話」は似たような話はあんまり書きたくないなあ、とネタを探りながらですが、これからも書いていきたいです。

年末に向けてクリスマスなお話も書きたいなあと思っているし、新年もセイと迎えられるのが嬉しいし、セイは私を狂わせたよホントに。

あ、そうそう。今月のゆびつむ福岡は、めーくすのサークルさんが出展してそうだったらお出かけする予定です。どうしよう、二次のイベントとか一人で行ったことないぞ。まあなんとかなるでしょう。

モノカキっぽい雑談でも、とか冒頭で書いたのに結局セイのことばっかりになってしまったね。まあそれだけセイがいるのが私の日常になったのでしょう。