やっぱり小説が書きたい

書けばいいじゃんって言われたまあその通りなんですけども。

小説って、感想文やレポートで書けないものが書けると思うんですよね。いやもちろん「お話」としての体裁を整えないといけないってのはあるんですけどそれだけじゃなくて、白黒つけないグレー部分から生まれる色、みたいなものがさ、あるじゃないですか。機微っていっちゃうと偉そうなんですけど、なんかこう、ふんわりと「言語化できそうだけどできないかもしれない」みたいな曖昧なものを曖昧なまま書けるのが小説という媒体だなーって。

で、そういうのを考えるのに至ったのが、最近私のぺけったTLで創作関連の話題が盛り上がってるからなんですけど、ぺけで書くのはさ、今年表に出した作品が1個もないからはずかしいなって、自分ちで書いてます。

あんまり小説が巧くない自覚はあるんですけどスキルツリーの限界はもう見えちゃったので一緒にわいわいできる人がいなかったら私って書かないんだなーというのは思う。たくさん読まれたいわけじゃないけど、誰かには読まれたいとはおもう。

というあたりで、最近本を読んでないなあということに気付きはするんですけどね。ちょっとこの辺は後述。

作劇の取り廻しで一番簡単なのはたぶん登場人物が2人でやり取りさせるお話ですよねえ。1人よりお話が広がりやすいし、3人以上を動かすのはなかなか腕がいる。というか私は3人以上を同時に取り廻すのほぼできないんですけどね。20年に近い年数書いててもこれなんだから初心者は臆さず、とかおもったり。で、登場人物が2人だと書きやすいテーマは恋愛ものだというのはあるんですよね。フォロイさんもおっしゃってたけど。ある程度パターンというか定石ゴールがあるから手を出しやすい。私が長く二次創作を敬遠していたのは「なんでも恋愛に昇華されるんだな」という偏見があったからなんですが、二次創作に飛び込んでみたらそうでもないし、そもそも一次創作でもわりと恋愛小説は巨大勢力だし、そのぶん読み手が多く居る可能性が高いのでどんどんやってー、という感じです。慣れてきたら「恋愛だけが関係の帰結じゃない」お話も気が向いたら書いてー。

500文字小説を書いていた私はたぶん神経質な推敲による繊細な作品が持ち味だったと思うんですけど、今の私はどうなんだろうなあ。推敲をそこまでやらなくなったというか、Webに出すのはだいたい撮って出しみたいな初稿なので……。

小説なんて誰でも書けると私は言います。日本語が扱えるならだれでも小説は書けると思う。ただし、それが読みやすかったり面白かったりはまた別問題だとおもう。読みやすく面白い小説を書きたいんですが、それだけを出すのはアマチュアというか一人仕事では無茶なので、駄作(言い方)もね、どんどん書いていかないといけませんね。

某所で200字小説を手慣らしに書いたり書かなかったりしています。しばらく本当に何も書いてなかったので今のところどれもひどい出来です。創作文章を書く「勘」みたいなものは書いて慣らしておかないと動かないので、地道だけど頑張りたい所存……! できれば毎日書きたいんですけど、ちからがたりない。

ところでここで朗報。

なんと! 先程! 今年2作目を書き上げました! めでてえ!

置いてる場所はここでは特に紹介しないのですが、書けた書けた。ちょっとだけほっとしました。1千字に1時間以上かかったのはブランクのせいでしょうけど、とりあえず書き上げられたのでひとまずはなまるだ!

何が良かったんだろうって考えたんですけど、TLで創作の話題が盛り上がってるのもあるけど、11巻で読み止めてた『ブルー・ピリオド』を14巻まで一気読みしたせいかもしれません。美大生が主人公という青春ものかつクリエイターものというのが良かったかな。やっぱり『ブルー・ピリオド』面白いなあって思いました。15巻が出てるのは知ってますが電子積読もすごいことになっておりまして。

ゆるゆるとでも小説書きに復帰したいものです。なにしろやりたい装丁が2種あるんだから。一方は一次で、もう一方はとうらぶ二次です。装丁イメージができてるのに中身スッカスカなのはお金出して本をするんだから不満がたまるんだ。今年の春は本を刷らないでしょうけど、秋のボーナスでこの2種をやりたいなあと思ってます。がんばれ!

偶然も重なればイカサマなのよ

みたいなことが『ループ』(鈴木光司・著)に書いてあったなあと思い出しつつ。読んだの高校生のころだから細部曖昧ですが。

何の話をするかというと、私と占いの付き合い方のお話です。

最近、朝にタロットでワンオラクルをやっています。っていうのは前にも書いているみたいなんですけど、一応理系進学したのにオカルトにハマってるのはどういうことよ、的な。

結論から言うんですけど、私は人知を超えた力は存在すると思っています。というかさ、科学技術だってある種の信仰だよなあって。人間が全知全能になることは叶わないという立場です。一番気持ちにすっとハマるから「科学技術を信仰」しています、私は。

長年メンがヘラい人をやっていると心理学とかもちょっと齧ったりしてみてるわけですが、そういう信仰、判断基準を「何かに任せる」ことで脳のリソースや負担を削ったりしてると思うんですよね。

信仰の話はオープンな場でやるとややこしくなるのですけど、無宗教も「宗教は存在しない」という信仰ですし、ヒトには何かを信じて、信頼してそこに任せられるものは任せてきた、という歴史があるわけですよ。だから人の信仰をつつくのはわりとタブーだぜ。

ちなみに私はわりと自己暗示にかかりやすいタイプなので、高3の大事な試合前にわりと詳細なホロスコープを出してもらって結果が悪くて試合が散々だったりしました。占いも基本いいことしか信じないぜ。自己暗示にかかりやすいっていう自覚があればそれなりに自分を御すのもやりやすいものです。

まあなんというか私は私の神様に愛されてるし、それを人からどうこう言われる筋合いはねぇですよ、と。

ちいさきものたち

の前に。

セイ活丸6年。いやあ、長いお付き合いになりましたね。毎朝ありがとうね。

小さいものが好き

昔から、それこそ1cm角の折り紙で折り鶴作ったりとか、美術の授業で製本に挑戦したときに手のひらサイズのプリ帳作っていたりから明らかなんですけど、私は小さいものが好きなんですね。ちまちましたもの。整理整頓ができない性分と合わせると気を付けてないと家の中がひどいことになっちゃうんですけど、長年藤製の籠に入れっぱなし(ときどき取り出してはいた)だった豆本をようやく整理いたしまして。

2009年頃に集めていた豆本たち
もち吉のカンカンにドーン

この前実家に帰省したときにもち吉のカンカン(福岡くんコラボの黒いやつ)を中身入りで持たされまして、中身をようやく昨日食べきりましてね。晴れておもちゃ入れになりました! いや、ガチャガチャとかのミニチュアも含めてまとめておかないとなとはずっと思っていまして……。前にヨックモックのカンカンに入れていたんですが、すでに溢れそうだったのでもち吉の大きなカンカンはありがたいですね。

小さきおもちゃたちはだいたい撮影小道具になります。もちとかアクスタとか、スマホのカメラも性能がちょうどいいのでこういう遊びができるのは楽しいですね。

セリアのお布団に座る明石さんのアクスタ

そういえばこもちa.k.a.もちもちマスコットミニ、注文していたものが届きまして、連れ回してるのは愛染くんのこもちだけなんですけど、大きさがちょうど明石さんのもちの被保護者って感じでとてもいいですね。

明石さんと愛染くん

とうらぶあれこれ

日曜の夜になってブログ書いていないことに気付いたダメなひと。気付いただけマシだと思おう。

日向正宗写し

万屋本舗POP UP支店@キャナルシティに行ってきましたよ。日向くんの写しが展示されてました。

御伴スタンディ、同田貫正国

馬九行久(うまくいく)フェアでアニメイトも行きました。

2/108で明石さん来た
ランダムグッズには明石さん来なかった

異去が実装されましたが

火車切くん、昨日お迎えしました!

あと、お散歩シールが貯まったので明石さんと交換。習合して一振り目の明石さんが乱舞8になりました!