出陣先は島原の乱
冒頭3分でいきなりインフェルノに突入して「インフェルノ」の言葉が広まったのはここか!って思いました。パライソ(楽園)←→インフェルノ(地獄)ってのはまあ浮かぶけど、こんなに広まるってのはちゃんと作中で示されてるからだな、と。
鶴丸役の来夢くんが『葵咲本紀』のころとは明らかに違うほど演技がものすごく巧くなっててびっくりしました。いや、もともとお歌はすごかったけど、体と言葉の演技が伴うと彼はすごいですね。
松井江の登場「ほっそ!!!」はともかく、刀剣乱舞(テーマ曲)の時の「わらぁくらすぞ!」が顔の王子様感とギャップのある野太い声で「キャーーー////」ってなりました。かっこいい……。そして舞台も島原、九州弁が嬉しい福岡県民。
『三百年の子守歌』を経た大倶利伽羅だったし、『三百年』についての言及がちょいちょいあってみほとせの民ワタクシ、丁寧に埋葬されました。
鶴丸の「仲間を集めてくれ」に従う浦島。幼い兄弟のおっかぁを探しに「パライソ」へ……って明らかにお母さん亡くなってますやん! そしてからちゃんが言うように深入りしちゃだめだよ、だってこの戦い、歴史上は負け戦で、鶴丸は「歴史を守る」と……! しんどい……!!
死んだ天草四郎からロザリオを取って自らの首にかけた鶴丸が天草四郎を演じ、戦で死んだにいちゃんの首にロザリオをかけて天草四郎の遺体に仕立て上げる……パーフェクトだ。
お前物部やったんかーーーーーーーい!!!
カテコ後にお芝居始まって「え、なにこれ」って思ってたら双騎ーーー!!!
考えたこと
この前タイミングよく谷津矢車先生a.k.a.歴史小説家がおっしゃっていたことと少し交差するんですけど、のちの世から見返した歴史は「そういう物語」であるように感じられるけれど、その歴史の渦中にある人々にとっては不確定な未来であり現在なんだよな、なんて。
考えることが刀剣男士の役割であるなら、考えて記憶を残すことが刀剣男士の役割であり、つまり、もしかして、2205年の世界は既に人間がほとんどいない……? いやぁそんなまさか(ゾッ)。いやだって、よくいうじゃないですか、「亡くなった人は二度死ぬ、一度目は肉体が死んだとき、二度目は忘れられたとき」って。
ところでそのころの長崎が舞台の同人歴史小説がありまして、『さんた・るちやによる十三秒間の福音』っていうんですけど、その凄惨さを思い出したりしました。もう頒布していないようなのですがキリシタンを斬首するお話です。その本を思い出したりしました。
背景に月が映されることが何度もあったわけですが、刀ミュでこれが三日月宗近を指すことはもはや基礎教養ですかね。で、今回はその月が満ち欠けしていまして、この頃だとたぶん文献との照らし合わせとかで月齢とかは判ると思うんですよね。教養レベルの歴史の知識も持ち合わせてないせいでわっかんねーんですけど、史実通りの月齢だったのかなあと想像してみました。
そういえば月と言えば海(平らな地平)があるのは月の表ばかりで、月の裏側はぼこぼこにクレーターだらけってのはわりと知られてますかね。これ、月の自転公転のサイクルのタイミングのおかげで月がずーっと地球の方を向いてるせいなんですけど、表にもクレーターはあるわけで、え、もしかして刀ミュ考察しようと思ったら地学やらないといけない……? 地学天文学あんまり得意じゃなかったんですよね……そういえば2部の松井江ソロ曲は超新星(和訳)でしたね?
『葵咲』でもそうでしたが鶴丸の登場時に鈴の音がするんですよね。単純に主役格だから音を入れてるのかなとも思えないこともないんですけど、となると気になるのは明石国行。まあ確かに『葵咲』では主役格でしたけど、明石登場時にギター(?)の音がするんですよね。えー(勝手に燃えだす明石村民)
まあとにかく
『静の海のパライソ』、すごく胸にぐっとくるお話でした。好きです。
ただこれ、怒られるかもしれないんですけど2部第3形態の鶴丸国永と豊前江は脱ぎ過ぎだと思う、生々しすぎて……。