本題の前に。昨晩は「シネマ歌舞伎 刀剣乱舞 月刀剣縁桐」の無料配信を観ていました。歌舞伎をちゃんと観るのって初めてだったんですが、初心者向けに特別易しくしてあるわけではないらしいと知り、歌舞伎別に怖くないんだなと思いました。同田貫が好きキャラでした。

昨日、こんな本を読みました。書くしかない人たちによるエッセイ集。たまたまペケで見かけて面白そうだなと行きつけの書店さんの在庫検索したらあったので買ったのでした。
三者三様の「書くしかない理由」が書きつけられていてなかなか興味深かったです。で、我も我もーって感じで私の「書くしかない理由」を書き記してみたいなと思いました。
見開き2ページで1人分だったのでだいたい1千文字くらいかなと目星をつけて、折りたたみますが1千文字で書いてみました。よかったらそこのあなたも、あなたの「書くしかない理由」を教えてください。
書くしかない、わけではないけれど
冒頭からいきなり前提を覆して申し訳ないが、ぼくは書くしかないわけではない。上手くはないが絵を描くし、上手くはないが写真を撮る。
自己紹介をしよう。
ぼくは氷砂糖。一人称が「ぼく」だけれど、消去法的クロスドレッサーなだけの四十代シス女性だ。文章を書き始めてもう二十年くらいになる。
初めて書くことに快感を覚えたのは、ネット環境を手に入れた大学生のときだった。
ぼくは幼少のころにどもり癖があって、言ったことを聞き返されるのがものすごく苦手で、つまりは比較的口数の少ない子供として育った。
そんな中、ネット環境を手に入れたぼくは夜な夜なチャットサイトに入り浸った。当時、無口な人というのは本当に不可視化されていて、ぼくはチャットサイトで発言すると人と会話ができるということに大いに喜んだのだ。
それからほんの二年ほどの間にいろいろあってネット環境を取り上げられ、まあ有り体に言うと半年間の入院生活を送ったのだけれど、そのときに手元にあったものといえば三色ボールペンと自由帳だった。
入院中にぼくはその三色ボールペンで自由帳に初めてお話のようなものを書き、その行為によって何かが救われた感覚があった。
再びネット環境を手に入れたぼくは、どこか「お話」を発表する場はないだろうか、と探した。行きついた場所はネット上で五〇〇文字小説を競作、互選するサイトだった。
ちょうどブログ全盛期で、五〇〇文字小説というのはブログに載せるのにちょうどよいサイズだった。なんやかんやあってそのサイトを中心としたコミュニティは出てしまったが、あそこで鍛え上げられた十三年のおかげで今のぼくの文章技術はあると思っているので感謝している。十三年もいたのか……。
小説なんて日本語が扱えるなら(上手い下手はともかく)誰でも書けるものだと思っている。絵も写真も似たようなものだと思っている。
それでもぼくが小説、文章作品にこだわる理由は、テキストデータが一番シンプルなものだと信じているからだ。
脳が物事を認識するためには抽象化して組み合わせる、というステップを踏むらしい(要出典)。書き続ける中でこれを知ったぼくは、入院中にお話を書いて救われたのはつらい色々を咀嚼、消化して、腑に落とし込めたからなのだろうと思った。
取り巻く世界を食べて、ぼくなりに納得する。
そのプロセスのためにぼくは小説を書き続けるのだろう。これからも、きっと。