いきる・たべる・かく

体力仕事にプラスして夏バテで、8月に就職してから少し体重が落ちてしまいました。まあ元がおデブなので誤差といえば誤差ではありますが。疲れると食べるのもめんどくさくていけませんね。

創作の中で「食べる」ことをわりと書きがちなのですが、生きていくなら食べないといけない、というのがどうにも私には刷り込まれているようです。好きな作品(マンガや小説など)でも「お腹がすいたらブルーになる、食べなさい」みたいな価値観が描かれているものが多い気がするなあと思います。

一方で私は食べること自体は、じつは、そんなにこだわっているわけではありません。好きな食べ物はもちろんあるのですが、不味いものでなければ同じメニューが何日続いても構わないタイプですし、夫が出かけている日は調理そのものをサボりたいです。そうなのよ、料理するのもめんどくさいと思うくらいのめんどくさがり。なんなら食べるのもめんどくさいと思っちゃうのですが、食べないとおなかすくし、おなかがすいたら動けなくなるし。生きるってめんどくさーい。

食べる、という行為はなんというか少しセンシティブだなと思っています。口が動くことがまあセンシティブといえばセンシティブに感じてしまうところはある。読んだのが高校生のころでつまりは遥か昔なので仔細は忘却の彼方なのですが、姫野カオルコの『不倫』という小説内で、キスは思考と肉体が交わる口を交わし合うから罪深い(うろ)、みたいな文章があり、私は長くそれに囚われています。

それとはまた別で、例えば吸血鬼モノを始めとした捕食/被食関係とかにときめきますし、小学生のころに教科書で読んだ豚をソーセージにする話とか、まあ肉料理が好きなんですが、肉料理ってつまりはころした生き物の体ですからね、そういう罪深さ?のようなものについてもときどき思いを馳せてしまいます。

創作作文はだいたい思い付きから書き始めて、(悪いことだとはわかっていますが)あまり調べものをせずにひとまず結末まで突っ走る、という書き方をしているので、書く際に使っている「道具」ってつまりは私の記憶や知識なんですね。もちろん(特に)本にするときはそれなりに調べて校正しているのですが、初稿はね、だいぶ私の思想の煮凝りです。なので、私の中で「食べる」ということはだいぶ重要なことなんだろうな、と。フード理論とか流行りましたね、昔。今も言われているのかしら。

ちなみに果物で一番好きなのはいちじくかもしれない。