最近の本丸事情

まあずっと明石国行だけを愛で続けている私なのですが、先日、審神者就任七周年だったのでたまにはとうらぶのはなしでもしてみようかなと。

最近は新刀剣男士が実装されてもめったに近侍にして声を聴くということをやっていません。ずっと近侍は明石さんのまま。七周年のときに久々に、始まりの一振りである山姥切国広、初鍛刀前田藤四郎、来派の愛染国俊、蛍丸、面影を近侍にしてお祝いメッセージだけ聞きました。

極が新規実装されたら初は全振りカンストさせているので修行に出すのですが、すでに極実装済みの男士だとなんとなくタイミングを逃し、て初のままの男士が数振りいます。

うちの近侍であるところの明石さんはよその本丸の明石国行とは別個体であるという前提があるため、刀ミュの明石くんはもちろんミュ本丸の別個体だと思っているのですが、仲田さん演じる明石国行はあれはあれでいいものです。というかいつの間にか仲田さんのファンにもなっていたりするんですが。というかなんのかんの仲田さんって演技やっぱり巧い俳優さんで、一筋縄ではいかないような気がする明石国行というキャラを演じてくれて嬉しいなと。

で、まあこのブログでもたびたび貼ってるのですが、うちの近侍はうさ耳付けてます。なんで? かわいいしええやろ。

刀剣乱舞ぱずぎりがリリースされて、現状明石国行は実装されていませんが、来派のあいほたちゃんたちと、同じ声優さんが声を当ててる平野藤四郎が実装されているので、近いうちに実装されないかなあ……と思いながら。

ぱずぎりみたいなタイプのパズルゲームって初めてプレイしたんですが、難しいですね。そもそも私はゲーム全般が苦手なのです。とうらぶ(原作)も始めてすぐは「難しい!」って言っていたのでやって行けば慣れるのかな。スマホみたいな小さな画面をずっと見続けるのもあんまり慣れないところがあるんですが。

あ、そうそう。ぱずぎりの始まりの一振りもまんばくんにしました。続いて喚んだ二振りは小狐丸と鶴丸国永。本家とうらぶでも鶴丸ってわりと早いころから顕現してて、あとランダムとか引くとわりと現れてくれるんですけど、もしかして好かれてるんですかね?

最近の創作周り

書けてないなー!

仕事が早朝から夕方までなので、やろうと思えば帰宅後にちょこちょことね、やれないはずはないんですけどね、だらだらしちゃっていけません。土日はだいたい遊んでるのでそこを創作に振ればいいんじゃないの、という気がしなくもないんですが。

一応はね、140字小説は毎朝書いてるんですよ。夜中みたいな早朝に。それはルーティンとしてもう確立してるんで、他の、たとえば小説書いたり絵を書いたりもそういうルーティンに組込めばできないはずはない……できないはずはないけれど……という。

まあ、ちょっと先週職場で問題を起こしてしまいまして、おおむね私がまだ今の仕事に慣れてないことに起因してるんですが、ひとまずは仕事に慣れて余裕を作ることが先かなーという感じではあります。

というあたりなんですが、基本的にミーハーなので話題のところには行きたいぞ、とこの前書いたときのAプランであるところのお店に昼酒に行ってきました。

美味しかったけどちょっと高いかなー。おしゃれな昼酒をしたいなら選択肢に入れようか、くらいの感じですかね。まあ近侍とデートできたのでヨシ。

23日が記念日なので絵を描きたいんですが、今の仕事が祝日関係ないので普通に仕事なんですね。というわけで描くなら今日のうちに描こうと思っていたんですが、まだダラダラしてます。ブログ書いたら描く。つもり。がんばゆ。

とはいえとはいえ。私は別に職業作家じゃないですし、趣味なんてものは余暇、つまりは余裕がある中でやるものですし、描けないならまあそれでもいい、と納得しておくべきなんでしょうねえ。

そういえば名義を替える前の大昔、毎年誕生日に誕生日にちなんだ500文字小説を書いていたり、お正月に新年を祝う500文字小説を書いていたりしたんですが、あれはあれで義務感で書いてる感じになってしんどくなっちゃったんですよね。趣味は余暇でやるもの。言い聞かせ。

文フリ福岡も近付いてきまして、カタログやnoteの新刊宣伝なんかを眺めて楽しい時期です。予算は去年と結局同じくらいで組んでるんですが、またすっからかんになるだろうな。イベントってなんか高揚感あって欲しいものはどんどん買っちゃいたくなりますし。

そういえば「記念日を小説ではやらないの?」って思われる向きがあるかもしれません。理由はですね、絵の方がぱっと見の印象がつよいからです。それだけ。あと小説はある程度のものを出さないと私自身が納得できないんですが、絵はもうヘタクソなことがわかり切ってるので気楽というか。セルフハンディキャッピングって言うなー!

いきる・たべる・かく

体力仕事にプラスして夏バテで、8月に就職してから少し体重が落ちてしまいました。まあ元がおデブなので誤差といえば誤差ではありますが。疲れると食べるのもめんどくさくていけませんね。

創作の中で「食べる」ことをわりと書きがちなのですが、生きていくなら食べないといけない、というのがどうにも私には刷り込まれているようです。好きな作品(マンガや小説など)でも「お腹がすいたらブルーになる、食べなさい」みたいな価値観が描かれているものが多い気がするなあと思います。

一方で私は食べること自体は、じつは、そんなにこだわっているわけではありません。好きな食べ物はもちろんあるのですが、不味いものでなければ同じメニューが何日続いても構わないタイプですし、夫が出かけている日は調理そのものをサボりたいです。そうなのよ、料理するのもめんどくさいと思うくらいのめんどくさがり。なんなら食べるのもめんどくさいと思っちゃうのですが、食べないとおなかすくし、おなかがすいたら動けなくなるし。生きるってめんどくさーい。

食べる、という行為はなんというか少しセンシティブだなと思っています。口が動くことがまあセンシティブといえばセンシティブに感じてしまうところはある。読んだのが高校生のころでつまりは遥か昔なので仔細は忘却の彼方なのですが、姫野カオルコの『不倫』という小説内で、キスは思考と肉体が交わる口を交わし合うから罪深い(うろ)、みたいな文章があり、私は長くそれに囚われています。

それとはまた別で、例えば吸血鬼モノを始めとした捕食/被食関係とかにときめきますし、小学生のころに教科書で読んだ豚をソーセージにする話とか、まあ肉料理が好きなんですが、肉料理ってつまりはころした生き物の体ですからね、そういう罪深さ?のようなものについてもときどき思いを馳せてしまいます。

創作作文はだいたい思い付きから書き始めて、(悪いことだとはわかっていますが)あまり調べものをせずにひとまず結末まで突っ走る、という書き方をしているので、書く際に使っている「道具」ってつまりは私の記憶や知識なんですね。もちろん(特に)本にするときはそれなりに調べて校正しているのですが、初稿はね、だいぶ私の思想の煮凝りです。なので、私の中で「食べる」ということはだいぶ重要なことなんだろうな、と。フード理論とか流行りましたね、昔。今も言われているのかしら。

ちなみに果物で一番好きなのはいちじくかもしれない。

寿司にまつわるエトセトラ

わりとまじでネタ切れなんで、よくわかんないことを書いてお茶を濁そうの回。無理してブログ書かなくてもよくない? と囁く声も聞こえなくはないんですが、ここを原則週一で更新するというのも「書いている人」である自己証明というかむにゃむにゃ。

さて寿司。私はそこまで寿司が好きだったわけじゃないんですが、最近はときどき「そういえばお寿司が食べたいかも」と思うことがあります。大人になると味覚が変わるはほんとそれ。

子供のころはむしろあまり好きではありませんでした。母がときどき回転寿司に連れて行ってくれていたのですが、当時の回転寿司って普通にわさびが入っていて、さび抜きは別途注文しないといけなかった。お魚の名前をそれほど知っているわけでもなかった幼き私、正直めんどくさいなあと思っていたのです。

実は大人になった今もどちらかといえばわさびが苦手ではあるんですが、少しくらいなら食べられないこともなく、一時期、寿司大好きな夫に回らないお寿司屋さんに連れて行かれまくっており、そういうお店のネタってほんと新鮮でおいしくて、「あ、お寿司わりと好きかも?」と思うまでになりました。

そういう背景がありつつ、今や回転寿司店のファミレス化というか、お子さん連れも普通に食事の選択肢に入る時代、回転寿司のお寿司からわさびが消えており。お寿司を食べ慣れたお子さん向けなんでしょうか、スーパーの寿司からもわさびが別添になっており。

寿司が私の食事の選択肢に入ることとなったのです。

数年前から夫に「タバコ吸いたいけどどこも禁煙だから食事に連れ出さないでほしい」とお願いしているんで、私が寿司を食べるとしたらスーパーか回転寿司か、という選択にはなるのですが、1千円くらいで寿司というのも悪くないですよ。